緊急事態宣言と自由意志尊重の対立から教訓を得る、個々人が取るべき感染症予防方法
前書き
緊急事態宣言の実際的な効力
よく聞かれる話に
- 緊急事態宣言が出されると、国家の独裁が始まる
というものがあります。
本当かどうかは定かではありませんが、
不確実な情報に反応して行動している人
が一定数いることは確かです。
このような混乱の上に行動したり、利益先導してしまう人がいることで、ますます状況の悪化が懸念されます。
(10月追記:というか、本当に懸念が事実になったので、本当に、コロナ便乗系のアフィリエイターは消えてくれてどうぞと言いたい…)
ライブを強行した芸能人達の真意
一見すると自己中に見えるが、、、民意を汲みたかったのだと思う
ライブ中止が立て続けに起こり、大変なフラストレーションがあったことが考えられますが、皮切りとなった、ライブ強行は、後のコロナ感染の爆発を誘発させる恐れがあり、懸念材料です。
医学的知識が皆無で行うリスク
新型コロナウイルスに限らず、もしお客さんが感染症を患っても、医学スキルのない一芸能人に患者は助けられません。
ですから、「みんなのため」を免罪符に強行したライブは、開催側は責任をとる気がない前提だったと考えることもできます。
人が思うよりリスク管理はムズい
「責任は取ります」の無責任さ
ドラマなのか現実なのかに関わらず、とりあえず責任取る宣言する、いわゆる「口だけマン」が一定数います。
そんな口だけマンに一言。
それで?何かあってもあなた一人に何ができるんですか?
と疑問符を投げかけたいところですが、宣言の妙な説得力の前に大抵の人は納得してしまいます。
いわゆるここが運の尽きです(笑)
(((((( つ* ∀ * )つアピャー
ドラマなら最後には上手く着地するのですが、現実世界ではどうでしょう。
目に見えたリスクを事前に潰せない事業は、数々のトラブルが押し寄せ、押しつぶされるのが関の山です。
たとえ上手く行ったとしても、壮大な責任転嫁の上に成り立っているのではないでしょうか?
口だけだなと思う相手の口車は、乗せられた人間が損するようにできていることは肝に銘じるべきでしょう。
安全側をとるという考え方
今の世の中はいかにリスクをとり、その他大勢を出し抜いていくかで争うことが常です。
しかし、自己啓発曰く、
- 帰り道を潰してかかれ!
- やる時は後戻りなし!
- (パラシュートなし)
みたいなことを受けおりにして大切な案件をこなそうとすると、たいてい失敗します。
失敗できないプレッシャーから、思わぬ所でミスしたり、盲点を突かれて出し抜かれたり、皆さんも経験あるのではないでしょうか?
そんな時大切な考え方が、
- 安全側をとる
というものです。
もともと建設業で使われる用語ですが、ビルや擁壁が倒壊、転倒しないように管理するため、リスクのある構造をできるだけ避けるというものです。
事業を請け負う時に、いかにリスクヘッジし、後々のことまで考えて安全策をとるかという考え方は、一見すると、コンフォートゾーンなんじゃないの?と言われもします。
しかし、何かあって全てが台無しになるリスクを潰せないでいるなら、綱渡りせず、安全側を取るということは、決して恥ではありません。
終わりに
会見でお涙頂戴よろしく言い訳じみて
- 「あぁ、この世の中を、変えたい!」
なんて言うことにならず、当時から真人間として生き、
- 「あぁ、このコロナ禍を、変えたい!」
と言っていれば、あるいは人前で大号泣していてもあの人の涙はパフォーマンスとして受け入れられていたかもしれません。
(今回の話と全然カンケーねえ(笑))
例え革命的な行動を起こしても、物議を醸し、しかも後の世の中に悪影響を与える懸念があるなら取ろうとしている行動は、1度考え直す必要があるかもしれません。
法律内だから許されるという考え方ではなく、あくまで人にいい影響を与えることが出来る面と、デメリットを天秤にかけて最終決定する必要があります。
誰にでも言えることですから、常日頃から気をつけるようにしていきたいですね。
それではまた次回の記事でお会いしましょう。
(・ω・)ノシ