手越祐也氏の農業構想について
前書き
6月19日にジャニーズ事務所を退所した元NEWSの手越祐也氏が8月5日に開いたフォトエッセイの出版会見で、手越村農業構想を明かしましたが、その中で、元TOKIOの山口メンバーを、協力者として推薦しました。
農業構想を語る上で農業のノウハウがない手越氏にとって山口メンバーは
- 尊敬するジャニーズの先輩
と会見で話していたことから、手越氏は構想当初から山口メンバーを協力者として推薦するつもりだったんだろうなと考えが膨らみます。
この点について、社会的には賛否が別れていますが、現世の館的には
「まあ、別にええんでねえの?」
くらいの楽観的なスタンスで、とりあえず肯定寄りな考えで見ています。
その理由も踏まえ、今後の手越氏の活動が社会にどんな影響を与えそうか考察していきます。
目次
山口メンバーを推薦すると聞いて
「なるほどそこ行ったか」という人選
TOKIO以上に山口達也だから
農業の知識・経験を借りるために
- 同じジャニーズ
- 鉄腕DASHで長きに渡りその手腕を発揮してきた
という点でTOKIOメンバーに協力を依頼するところまでは、恐らく誰もが容易に想像できたと思います。
まさか、現存のTOKIOメンバーではなく、他でもない山口メンバーに焦点を当てるとは、この時誰もが予想だにしなかったでしょう。
今回の会見を見て、手越氏が山口メンバーを推薦する一番の理由は
「大好きな先輩にもう一度輝いて欲しい」
という、純粋な後輩心からなのではと、何となく察するところがありました。
その他の思惑的なところは多少なりともあれど
- 山口メンバーが不祥事を起こして事務所を退所することになっても、それまで抱いてきた尊敬の念が根底から覆ることが無かった
だからこそ山口メンバーの名前が出たのではないかというのがウツシヨ考察です。
手越氏の狙いは日本社会では希薄な「敗者復活論」を実績で伝えることか
手越祐也 農業構想明かすも山口達也とのコラボが懸念される訳 | 女性自身
上記の記事のように、手越村農業構想への山口メンバー推薦に、報道関係者は否定的なコメントを載っけているのが多く見られますが、当然といえば当然。
山口メンバーの過去の不祥事をあれだけ厳しく断罪したにもかかわらず、手のひら返して
「じゃあ、やってみれば」
とは、立場上絶対に言うことが出来ないわけです。
また、円満退所では無いイメージでジャニーズを離れた手越氏のもとに山口メンバーを呼ぶことに、ことの泥沼化を招くのでは?と書く週刊誌も多いのが現状です。
悪い事をした人には死ぬまで罪人のレッテルを貼り続けるのが「報道」という営利組織のあり方であり、日本社会の厳しさの象徴となっています。
(メンタリストDaiGo氏もちょくちょく、報道と心理学を絡めて、不祥事芸能人への断罪動画を出してますが、彼は意見がコロコロ変わるので除外)
山口メンバーに限らず、その他不祥事案件に関わった芸能人は、この日本社会の宿命に則り
「敗者」
として、後世まで伝えられていくことになります。
そこに焦点を当てたのか、山口メンバーを引き合いに出したところに手越氏の力強さと覚悟があります。
もし、山口メンバーを交えた手越村農業構想が大成功を収めれば、手越氏の活躍もしかり、山口メンバーの協力姿勢も一定の評価を得ることになります。
かねてより日本社会に存在する
- 「潔癖主義」
- 「敗者不要論」
という厳しすぎるローカルルールが、手越村農業構想の成功により
- 「敗者復活論」
という新しい知見に昇華するかもしれませんね。
もし、そういった社会の縮図に風穴を開けることが出来たら、手越氏は大したものです。
良くも悪くもノーミス主義な日本
「法に触れれば前科者」「モラルに反しても前科者」は日本だけ
過剰なほどモラル主義国な日本ですが
- 人のやることが気になる
- 人の目を気にする
といった
- 他者ありきの自分
というスタンスが心理的な根底にあります。
ただ、ぶっちゃけ言うと、自意識過剰。
周りの人は、言うほどあなたの事を気にしてません。
世の中の成功者と呼ばれている人の特徴に、
「他人の目なんて気にならない」
ということがあります。
人の視線が気になって人と違うことが出来ない日本人は、この特徴の真逆を行ってしまうが故に、その他大勢から抜きん出ることが出来ずなかなか成功しないと言われています。
さらに、日本社会は過剰なほどモラルにうるさく、過去の失敗を永遠に引きずるという謎の特徴があり、海外のように
- 慰謝料を払ってちゃんと和解したからチャンチャン
とはならないことが、とある方面では問題視されています。
確かに、法に抵触しないが故に問われるモラルの課題は、決して無視して通ることはできません。
罪に問われないからこそ余計に、やる前に
「この行いが正しいのか」
を頭で考える力が求められます。
「法モラル擁護論」に「更生の機会」が噛み合えば、日本はもっといい国になるはず。
しかし、それと同じように
「やってしまったことに対して、落とし前をつける権利」
が平等に存在していていいのでは?
と思います。
いわゆる
「責任能力がある」
と言われる人間であるなら、
「やってしまったことに対して責任を負いきる」
ことによって、許される機会が設けられていいのではないかなと思う次第です。
モラルの問題ならなおさら!
日本社会では、
- やらかしたやつは一生苦しむべき
と、新聞、テレビ、ネット、SNSなどで過剰なまでの叩きのめしが発生し、ついこの前も、テラハの木村花さんがネットでの誹謗中傷を受け自殺という痛ましい結末を招いてしまいました。
これも
- モラルに関するやらかしをちゃんと落とし前をつけることによって清算できる権利
が日本には存在していないが故に起こっていると思います。
- 刑事罰の刑期を終えても白い目で見られる
- モラルに関する不当な責めが重い
という日本の人権に関する考え方が見直される日が、手越氏の活動によって近づくことを祈るばかりです。