現世の館 (うつしよ の やかた)

世の中の「正解や常識」を水平思考で考え直すブログ

ブログの概要説明

このブログでは、世の中にある各テーマごとの隠れた真実を炙り出すため
 ・「水平思考で可能性を列挙」し、
 ・「ロジカルシンキング」
によって深堀りしていきます。

可能性を列挙する際に、背反する事象を同時に取り上げることがあります。
(同時に起こりずらいと考えられる事象「A」「B」を仮に同時に起こると仮定したら、という考え方をするということ)

前書きと本文見出しを先行公開していますが、見出しレベルでも内容が分かるように記述する予定です。内容までしっかり読みたい方は、「完成版」タグがついた記事をお探しください。

☆☆☆ 目次はこちら ☆☆☆

真実を司る神とバイアスとクリティカルシンキングのお話

前書き

現世の館へようこそ!

今回は、本館の最高顧問のお話です。

真実を司る神と聞くと、人によっては、ポケモンのキャラクターを思い出したり、ギリシャ神話の神様を思い出す人もいて、人によって想起するものはまちまちだと思います。f:id:if-para-true:20201108215910j:image

ちなみに館長はレシラム派です(笑)

当時親から

と聞かれた時、レシラムはオメガルビーにしか出ないと知っていたので、二つ返事でオメガルビーと答えた記憶があります。

(どうでもいいの森)

さて、なんで今回、こんな厨二的宗教観が丸出しの記事を書こうと思ったかと言うと、実は

  • 真実

というのは意外にも正しく観測することが出来ないものだからです。

人はよく「バイアス」というものにかかりがちで、コロナとか火アリの時もそうだったように、「正常性バイアス」に代表される様々な「思い込み」に左右されて生活しています。

バイアスにかかっている間は、真実を語ろうとしたところで

  • 人を誤解してしまったり
  • 自分を正当化してしまったり

と、悲しい方向に作用してしまうことがほとんどで、むしろ口を閉ざしていた方が余計な混乱を招かなくて済むなんてこともざらです。

そのため、真実を語りたくば己を疑えという、クリティカルシンキングとの関連を元に、考察を進めていきたいと思います。

目次

基礎編

真実とはなにか

だいぶ哲学チックで宗教チックな出だしですが、皆様は真実とはなんだと思いますか?

なぜ、江戸川コナン

  • 「真実はいつもひとつ」

と言うのでしょうか?

ここには、真実は現在と過去にしか存在しないという性質が関係しています。

現在における真実

まず現在という観点でいえば、実存主義の代表格であるデカルト

  • 「コギト・エルゴ・スム(我思う故に我あり)」

に見られるように、

  • 仮に他に何も無くても、今まさに思考をめぐらせている私という存在は紛れもなく今ここにある。

という考え方がスタートとなっています。

なので、そこから応用させた

  • 今まさに存在する「私」が観測しているものや現象もまた、確かに実際に発生しそこに存在するのである。

という考え方は、現在進行形で真実が存在することを示唆しています。

ドラゴンボールZで、セルに手下がやられて、ミスターサタンが「トリックだ!」と言い訳しても、自分の手下がやられている事実は現在進行形で存在するんだから、手下がセルにやられたのはトリックでも何でもなく真実なんですよ(ネタが古い)

過去における真実

続いて、過去における真実についてですが、これについては、

  1. 客観的視点
  2. 主観的視点

このふたつで考え方が異なりますが、人間はすべからく主観的視点に基づいて過去における真実を把握しています。

客観的視点

  • そのとき何があって、その人がどんな行動をとったか、また、その時どう思っていたかという事実関係は時が経っても変わることは無い。

これが客観的視点に基づく過去の真実に対する考え方です。

重たい話を引き合いに出すなら、

  • 毒親毒親育ちの関係であり、今でこそ和解したが、しかしながら、当時は確かに毒親育ちは毒親の悪意ある影響を受けて育った。

これは事実ですよね?

絶対に覆らないですよね?

もしイメージが湧かない時は、文学小説とかでよく「地の文」と表現される、神様目線で描かれる各登場人物の心境や言動を想像してみるとわかりやすいかと思います。

主観的視点

これに対して、主観的視点に基づく過去の真実についてですが、これはひとことで言うと、記憶そのものです。

  • あなたが変なことを言うから、私はカッとなったのよ。つまりあなたが私を怒らせたのよ。

この話は、経験した記憶から引き出された主観的視点によるものです。

記憶しているのはあくまで

  • 本人の当時の言動と感情
  • 相手の当時の言動

であり、相手の当時の感情は、他人が正確に読み解くことは不可能だし、相手にしか分からないものであるため、仮に思い当たる節があったとしても、それが真実であるとは言いきれません。

決定的な違い

両者には真実だと断定するための情報源に決定的な違いがあります。

主観的視点では、当人の五感と思考力および記憶力で把握出来る範囲でしか真実かどうか考える材料がありません。

だから、間違って覚えていたり、失われた記憶を想像で補完したりといった、脳機能のエラーを考慮しなければなりません。

客観的視点は先程も述べたように、まさしく神様の目から見た視点です。

  • 我々の先祖は確かにその時、何らかの意志を持ち言動した、ということを、いつだったか勉強した。

みたいな、主観的視点ゆえに途中途中が曖昧な部分も事実関係がバッチリ補完されたバージョンが、客観的視点に基づく過去にあたるのです。

余談:未来における真実?

ちなみに、未来に真実は存在しません。

なぜだか分かりますか?

未来の"そのタイミング"で起こる

  • 人やものの挙動
  • 思考感情

などには現在の状況を初期値としたカオス性があり、未来に何が起こるのかは現在の挙動の変化によっていくらでもぶれるためです。

「100日後に死ぬワニ」

がいい例で、彼は連載開始から100日経つと死ぬ病にかかっていましたね。

今となっては連載から軽く200日は越していますが、まだ生きてるんですかね?

  • 宣告から100日後に死ぬ

この未来が真実だとしたら、大炎上を引き起こしたあの「生きる」という結末と大きな矛盾が生じます。

参考に、2,3ヶ月くらい前に、量子力学の観点から思考は現実化するのかしないのか考察した回がありましたが、量子力学の特性を愚直に「思考と未来」に適用したところ、

  • 観測しないと(その時が訪れないと)思考が現実化したか知りようがない。
  • 観測するまで(その時が訪れるまで)は、現実化する未来と別な未来は、同様に100パーセントの存在可能性を持つ。

というシュレディンガーの猫状態が平気で成立するという結論となりました。

実際、ワニくん連載開始から100日経つまでは、

  • ワニ本当に死ぬんじゃね?説
  • ワニ生きてるんじゃね?説

これは事実、両方とも存在していました。

100日経ってワニが生きるか死ぬか観測可能になって初めて、多くの人が最終回を見て

「ワニ生きてんのかよ(笑)」

となったわけですね。

ここで初めて、100日経ってもワニは生きてるということが真実として一意に定まったのです。

真実とは、いかなる改ざんも通用しない、モーメントにおける確定要素を指す訳ですから、そんなものにブレ幅があったら真実とは言いません。

なので、未来には真実が存在しないのです。

こういう考え方を覚えておくと、詐欺師や口達者なセールスに騙される確率をグンと減らせるので、覚えておいて損は無いかと思いますよ。(「・ω・)「ホイ

超ざっくり解説する「レシラム」って何?

真実を司る神という二つ名を持つ、

  • 真っ白もふもふ
  • 炎のドラゴン
  • 碧眼のお犬様w

というのが、ポケットモンスターブラック・ホワイト(BW)及びブラック2ホワイト2(BW2)の伝ポケでおなじみのレシラムさんです。

公式設定上はレシラム本人が全知なのでは無いそうで、

  • 真実を追求し世界をより良くしようとする者を英雄と認め力を貸す

というのが大筋のポイントとなってきます。

レシラム本人が最初からなんでも知っているのだとしたら話は別ですが、なんでも知っている存在だとすると、理想の人生の歩み方もなんでも知っていることになるので、真っ黒い片割れの存在意義が8割ほど消えて無くなるという大問題が生じるため、ここでは考えないことにします(笑)

ただし、もしもプラトンイデア論的に、レシラム=イデア界のメタファーなんだとすれば、神様の国にいる本物のレシラムは、この世の原理原則も私たちの一挙手一投足も全て知っており、過去における客観的視点に基づく真実を語る存在として考えることができます。

主観的視点にしか立てない私たちにできること

論理的思考と場合分け思考(クリティカルシンキング)の使い分け

では、どうやって真実と呼ばれるものに辿り着くのかという話になってきますが、とかく自分の知らない話となれば、

  • 真実と断定できる情報を知っている人に嘘偽りなく教えてもらう。(口伝えでも書籍でも可)

ということが必要になります。

ですが、そう都合よく真実を知っている人はいないことの方が多いので、今回は真実は自分で解き明かすしかない場合をベースに考えていきます。

そのために一般的に使われる思考法が

です。

物理法則や経験則、物事の筋道などを参考に、ありえない可能性を消去し、確実または可能性の高いものに焦点を当てていく思考法ですね。

これだけでも大体の問題は解決するのですが、俗に言う

  • 答えのない問題

が対象の場合、必ずしも論理的思考で考えた結果が最適解にはならない場合があります。

例えば

  • サイコパスは自己利益を優先する過程で人を傷つけることを躊躇しないため、人間関係から隔絶しなくてはならない。

という極論が出たとして、対照的に日本では

  • 基本的人権の尊重は、憲法で定められた国民の権利であり、何人たりとも、心境、人種、思想、出自などを理由に他者から差別されない。

という(ほぼお飾りのw)文言があります。

これは本来両立しえない排反事象ですから、論理的思考を駆使したところで、この両論が共存の道を辿る回答は誰にも出せないのです。

そこで登場するのが、クリティカルシンキングです。

批判的思考と訳されるこの思考法は、前提を疑うことや、自分の論理をあえて間違っていると仮定して考える思考法です。

これだけ聞くとマゾ受けが良さそうにしか聞こえない感じがするので、一般的な言い方として、場合分け思考法というのもありかもしれません。(正直どうでもいいが。)

クリティカルシンキングもとい場合分け思考をするにあたり、まず、先程の前提を考えます。

  • サイコパスは自己利益を優先する過程で人を傷つけることを躊躇しないため、人間関係から隔絶しなくてはならない。

この文言は、過去の凶悪犯罪や、虐待、いじめの歴史を振り返れば、経験的には正しいと言えます。

が、あえてクリティカルシンキングを用いて、場合分けして考えていくと、まず、

  1. サイコパスというものがそもそも存在しない場合
  2. サイコパスは自己利益以外も優先する場合
  3. サイコパスが他者を傷つけることを躊躇する場合
  4. サイコパスを人間関係から隔絶する必要がない場合

などのパターンをあげることができます。

これを全部やっていくと、さすがに疲れるのでやめますが、場合分けして考えていくと、先程の

  • 基本的人権の尊重は、憲法で定められた国民の権利であり、何人たりとも、心境、人種、思想、出自などを理由に他者から差別されない。

という文言と共存の道が見えてくるパターンがあるのがわかるかと思います。

また逆に、日本では日本国憲法を疑問視するのはタブーとされている面もありますが、あえてクリティカルシンキングの矛先を向けて、場合分けして考えるなら。

  1. 基本的人権の尊重は国民の権利だが、平等性の保障は考えない場合
  2. 人種・出自などのコントロール外の要因と、心境・思想などのコントロール可能要素は人権保障の枠組みを分ける必要がある場合

など、仮にも憲法を相手取っても場合分けし、有り得ないとされる考え方も準用していくことで、心境や内心と結びつく精神医学の観点にも折り合いを付ける結論を出すことができるようになります。

結果的にその思考結果が正しいかどうかは一旦置いておき、ありえないもの同士を愚直にぶつけ合うことも、答えのない問題を考える上で重要であるというのが、クリティカルシンキングの醍醐味となってきます。

このようにして、論理的思考と場合分けを適切に駆使していくことが、真実への道となっていくと考察できます。

ただし、先程も例にあったように、クリティカルシンキングは一見、真実から遠ざかるような荒唐無稽なアイデアさえも引き合いに出す思考法のため、

  • 真実を導くために矛盾を語るとは何事か

という批判は否めません。

なぜ、それでもクリティカルシンキングが必要なのか次の章で解説します。

真実から遠ざかるような思考法が真実に迫れる理由

クリティカルシンキングによるバイアス除去効果

先程も書いた通り、私たちの思考には大体いつもバイアスが働いていて、こうだ!と思ったものは大体なにかの思い込みから来ています。

  • 初対面の異性に笑顔を向けられて、思わず、この人は僕(私)を好きなのかも

と思ってしまうのも初頭効果というバイアスですし、

  • 血液型診断で大雑把らしいと結果が出て、自分って大雑把なのかなと思っているうちに本当に大雑把になる

というのもハロー効果というバイアスです。

暗示がかかっている状態というのが、日本語らしい表現ですが、まさしくその言葉の表すとおり、暗示なので、解かない限り続いてしまうのが、バイアスの厄介な点です。

では、どうやってこの暗示、バイアスを解きましょうか?

人に頼んで洗脳解除してもらいますか?

残念ながら他人は、あなたが何の暗示にかかっているか知る由もないため、基本的に人は他人のバイアスを解除することはできません。

世の中のごまんといる無資格のカウンセラーの皆さんが、動画とかで「あーだこーだ」と言っていますが、反応しているのが一部の人間しかいないのがまさしくその現れです。

これはメンタリストだろうと、ナゾトキ水平思考くんだろうと同じことです。

私が記事を執筆しても、読んでくださる人に刺さらない場合もあるのも同じ理屈です。

つまり、バイアスは自分で除去しないといけません。

とはいえ、

「私は思い込みになんてかかっていない」

と思っている自分自身がどうやってバイアス、思い込みを除去すれば良いのでしょうか?

ここまでお読みのあなたなら既に答えが出ているかと思います。

そうです。

  • 私は思い込みにかかっている

こう考えることがまずバイアス除去の第一原則になるのです。

ここまでを踏まえてのまとめ

バイアス除去のステップ

1.自分や誰かの意見を知る
2.意見の根拠を探す
3.根拠の正当性への自分の認識に疑問を持つ
4.前提が変わればどう変わるか考察する
5.仮説の根拠を確認する
6.根拠や前提への認識を疑問視し、再考察する
以下を納得するまで繰り返す(ただしやりすぎると強迫観念のバイアスにかかるのでほどほどに)

バイアス除去の目的は、べき論や知る由もないことに答えを求める思考を捨てることにあるため、必ずしも答えにたどり着けなくても構いません。

  • 公務員になって安定を手に入れるべき
  • いい伴侶を見つけて、2人くらい子供を設けて、一家団欒を築くべき

というようなことに一度疑問を投げかけて、

  • ほかの可能性は無いのか
  • なぜそれじゃなければいけないのか
  • そもそも何でそんな考え方が生まれたのか

など、多角的に考察することがまず第一です。

なので、色々考えてみたうえでの結論であれば、公務員になるというのが結論でもそれでいいのです。

クリティカルシンキングは必ずしも奇抜なアイデアを出すための技術ではありません。

奇抜な発想をするためにクリティカルシンキングを使おうとすると、かえってそれが新たなバイアスとなって、思考者を苦しめることとなります。

あくまで、

  • 無条件に無意識的に「こうあるべき・こうするべき・こう思っているに違いない」と考えてしまう思考の癖を回避する

という目的でクリティカルシンキングを使うと良いでしょう。

あくまで私たちは主観的視点でしか物事を捉えられないのですから、全ての真実を知ることは絶対に無理なんだということから始めましょう。

おわりに

レシラムと愚直に向き合った約10年間

実は、クリティカルシンキングという単語自体はここ1年間、心理学の勉強を大真面目にやってきた中で知ったのですが、クリティカルシンキングの意味を初めて聞いた時、初見の感想が

  • 「あ、俺もうやってるわコレ(笑)」

でした。

高校・大学時代の人間関係での大失敗や、両親の絶望的不仲、実家のゴミ屋敷問題、兄弟の社会復帰などの、誰のせいとも言えない、とてつもない難題の解決策をたった1人で考える必要があった時、これだけは間違いないと思う意見さえ、

  • 本当にそうだと言えるのか?
  • それは根拠の無いただのお前の意見じゃないのか?

レシラムのソフビ人形を見つめ、時に自分の考えを厳しく批判的に否定しながら、必死に思考を巡らせたのは、今思い返せば確かな経験でした。

当時、レシラムというキャラクターに出会わず、そして、そこから来る「真実を知るとは?」という深い思想的なテーマに感化されていなければ、恐らく私は酒が飲める歳を迎えることなく死んでいたことでしょう。

自分が様々なビハインドに侵されていても、バイアスに気づき、まだ出来ることがある、なんとかなるはずだと気づくきっかけになったこの思考法が、今度は皆様のお役に立つなら、ここまで生きてきた甲斐があったのだろうなと思うばかりです。

それでは今回はこのへんで!

(・ω・)ノシ

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