メディアのメンタリズム②:モラルジレンマで視聴者の感情を揺さぶる
前書き
こんばんは館長です、現世の館へようこそ!
メディアのメンタリズム解説第2回にちょうどいい題材がたまたま転がってきたので、今回はそれを載せて、話を進めてみます。
まずは下記の記事をご覧下さい。
23日放送『スッキリ』水卜麻美アナに批判続出!「あり得ない」「何で...」 - いまトピランキング
忙しくて見れなかった人への超々々々ざっくり解説
- 元TOKIO山口メンバーが飲酒運転で事故った
- 山口ってアル中らしいよって分かった
- 水卜ちゃんは山口にちゃんと更生してほしいって言った
- 同じ番組で風見くんが山口にブチ切れた
- 風見くんの娘は飲酒運転車両に轢かれて亡くなったから、みんなは風見くんに共感した
- 水卜ちゃんには共感しなかった人は水卜ちゃん叩いた。
こんな感じですかね。
上記の記事内で、一般大衆から水卜アナウンサーに寄せられたコメントは
- 風見氏の、「許されざる罪に対する怒り」(過去)
- 水卜氏の、「今後の更生に対する期待」(未来)
このふたつの見解に意見の衝突が見られた結果生まれたものです。
このふたつの意見は、あくまで、一意見同士が相いれなかったにすぎません。
罪に対する怒りと償ってほしいという期待、そのどちらが悪いとかではありません。
ただ、誰かの不祥事が発覚する度に、いつもこういった議論が始まるのは、ちょっと不自然だと思いませんか?
しかもいくら何でも、どっちも正しいといえる話でどちらか一方が叩かれるようなこと、理知的に考えてそうそうありません。
と考えると、どことなくきな臭い演出の風貌が垣間見えるような気がしてきます。
というのも、すでにご存じの通り、心理学を巧みに使った報道戦略はかねてより全国各社がプロパガンダとして行ってきたことです。
今回はこれを考察することにより、本当は裏で何が起こっているのか推理していきましょう。
目次
モラルジレンマ問題に基づく、価値観の相反現象について
許すべきか、許さざるべきか論
まず、大前提として再確認しておきたいことがあります。
- 山口達也の酒気帯び運転で大勢が大迷惑した。
- 事故は起こったものの死人が出ることはなかったし、被害者も軽症だった。
- 山口達也氏はアルコール依存症と診断された。
- 友人宅に酒気帯び運転で行く手前、飲酒運転は最大2回行われる可能性があった(つまり往路と復路)
これらを総合して考えるときに、私たちは許す許さないを自分の価値観と照らし合わせて決めています。
再犯を繰り返す人間に私たちはどんな目を向ければいいのか
善悪を判断できなかった原因が依存症にあるのかによる
私たちはこういう問題に目を向けるとき、許すか許さないかのトロッコ問題を解いていると考えることができます。
といった感じでしょうか。
この場合において、多くの人が断罪を求めて線路を切り替える選択をします。
ですが、トロッコ問題の奥深いところに、
- 前提が変わると線路を切り替えるかどうかの基準が変わる
という点があります。
次の二つは先ほどの二つを、詳細な調査の結果わかったことに置き換えました。
この前提だったらどちらにトロッコをぶつけるか、あなたの選択肢は先ほどと変わりましたか?
最後に、先ほどの前提を一般化した場合を見てみましょう。
- 重罪人だが同情を禁じ得ない事情がある人
- 重大な罪にたいしては厳罰を下すが、責任能力がないなら許す法律
この二つを比べた場合、どちらにトロッコをぶつけ、粉々にしますか?
ここまでくると、多くの人が
「時と場合による」
と答えます。
つまり、この時と場合というニュアンスの価値観の違いが、意見の相違からくる今回のような水卜叩きにつながったと考えられるのです。
また、この時と場合によるという話は、
- 「仕入れた情報が変われば私の立場も変わる」
ということを示す一文でもあります。
そこを踏まえ、少しずつ情報をつけ足していきましょう。
というのも、この事件ののちに山口達也に人格障害の疑いが浮上しました。
取り調べの際に、当初供述を突如否認し、人が変わったように顔つきや口調が変わったとされているためです。
元TOKIO山口達也に「双極性障害」だけでなく、多重人格の疑いも!? シャレにならない病状を医療関係者が語る (2018年5月20日) - エキサイトニュース
山口達也氏の急転否認は「別人格」の仕業?過去の豹変ぶり証言 - ライブドアニュース
もし、この話が、全て真実であると仮定した場合に、先ほどのトロッコ問題は次のような2択になります。
- 「悪気はなかったんだ。苦しくてしょうがなく酒を飲んだんだ。そのまま運転したのは間違いだったけど、本当に悪気はなかったんだ。」と言い、アル中認定もされているものの、裏では「こう言っておけば、ちょっとは罪軽くなるかな」とほくそ笑んでいる山口達也
- 法律上は厳罰だが、依存症や精神障害のため責任能力がないと判断されれば無罪となる法律
このどちらにトロッコをぶつけて木っ端みじんにしますか?という話になります。
こういう比較になればそりゃあ、山口達也にトロッコぶち込みたくなるのも無理はありません。
なので、山口達也擁護論はバッシングに遭いやすくなると考えられるのです。
まとめ
ここまでの話を要約すると、ようするに、やむを得ない事情があるのかどうかではなく、悪意があったのかどうかに人は反応するのではないのかというのが本館の考察です。
メディアは時に、許すべからずと思う話と、許すべきなのかもと思う話を混ぜこぜにして発信するので、視聴者は混乱してしまうことがあります。
私たちは最低限、出ている情報をすべからく知ることがまず先決ですが、いろいろな前提を想定し考察することも、意思決定には重要です。
終わりに
今回はざっくりこんな感じで終わりにしようと思いますが、いかがでしたか?
モラルジレンマ問題には合理的判断に基づく最適解こそあれど、倫理的な正解は存在しません。
私たちは、時に合理的判断のし過ぎで、モラルジレンマを独自解釈して叩かれたりしますから、ここはしっかりと気を付けていきたいところです。
それではまた次回の記事でお会いしましょう。
(・ω・)ノシ