「マイノリティ」遺伝的特質を生きるとは何か?
前書き
マイノリティについて論じる時、様々な意見がありますが、意見の系統をまとめると、前提が2つに分かれるようです。それは、
- 町内会とか集落、職場といった、内部交流で完結している何らかの集まりという前提。(この中でのマジョリティとマイノリティについては、マジョリティの意見が優先されるため、マイノリティは頑張ってマジョリティに合わせるという理屈が社会通念となっている。)
- 大学のサークルとか、MMOゲームのコミュニティなどの、様々な場所からランダムに集まり、入退会が基本的に自由な集まりという前提(この中で生じたマジョリティとマイノリティは、声の大きさによって差はあれど、基本は意見の調和を図ることが社会通念となっている。)
このふたつの違いがあるようですが、その差はなんでしょうか?
今回は、この点をテーマに、マイノリティにとって生きやすい前提とは?ということを考察していきます。
目次
生活がかかっているとマジョリティに縛られやすい
近隣住民とのコミュニティでも、勤め先の会社でも、変に浮いたり、周りと極端に違う行動を見せれば、待遇が悪くなったりいじめ差別の的になる場合があります。
お金のためには働かなければならないし、簡単に環境を変えることはできない。
そういった、生活に関わる事態と直結した集団の中では、マイノリティの人は処世術として、その集団の中のマジョリティをできるだけ素早く察知して、上手く合わせています。
マイノリティを発揮して自分の生き方で生計を立てることができている方であれば、話が変わってきますが、ここでは、それらの話は例外として考えることとします。
マイノリティでいることがなぜ、生活がかかっていると発揮しずらいのかというと、これには有名な説があり、
- 既存の社会規範、役割がマイノリティと噛み合わないため
とされています。
何回か前の記事でバブルおじさんの話をしましたが、昭和から平成中盤辺りまでは
- いい学校に入り
- いい会社で定年まで勤め
- 若いうちに結婚し子育てに邁進し
- 老後は子孫のために教えを説き
- 最期は暖かく看取られて一生を終える
このステップが人生の成功ルートとされていました。
時が平成後半から令和に移るにつれ、その認識は少しづつ変化し、
- マイノリティなりの幸せな生き方がある
- 夢多き若者はしきたりや風習より自己実現を目指したい
- 昭和の価値観では生き延びるのも難しい
などが周知されるようになると、社会全体として、人のあり方について考え方が変わってきました。
変わってきましたが、社会規範、法整備が全くそれに追いついていないことから、マイノリティとして生きるにあたり、ほとんど社会保障を受けられない状態が出来上がりました。
何をやるにしてもとにかく高くつくのです。
菅内閣にはぜひその点についても焦点を当てて法改正や規制緩和を行い、改革を推し進めてもらいたいところです。
生活に絡んでこない活動では、自由が効きやすい
海外のスポーツ価値観に見られるマイノリティの自由度
日本のスポーツ選手は、生活と試合が切っても切り離せません。
- 打てない
- ゴール決められない
- 1位取れない
といった不振は
- 「無能」
という烙印を選手に焼き付けます。
1度焼き付いた印象はなかなか剥がれず、日本では、成績に関わらず、その人に押された烙印がそのまま信用に直結しています。
(最近は好調気味なのに「今日のスタメンあいつかよ、これは勝てねーな」と言われるみたいな感じ)
逆に海外では、スポーツとはゲームであり
- 『Just a game』(たかがスポーツに過ぎない)
という考え方があります。
これは特に、ボランティアの活動も兼業しているアメリカスポーツ選手の間では当たり前の話として浸透しています。
マイノリティかマジョリティか、こういった点は度外視されるのです。
ちなみに、ちょっと脱線しますが、黒人殺害事件を背景に、大坂なおみ選手がテニスの試合を棄権した際、一時的に大坂なおみ選手に批判の声があがりました。
批判の中身を要約すると、
スポーツ選手は試合だけをやっていろ。
政治社会に首を突っ込むな。
というものでした。
これに対し、大坂なおみ選手の反論を要約すると、
私は選手である前に黒人女性。黒人が差別されているなら当然抗議する。
それに、誰かが他人に対して話す話題を制限する権利はない。
というものでした。
結果的に、大坂なおみ選手への賛成票が勝り、これに感化されるように、他のスポーツ団体も、社会的に黒人差別に抗議する動きを見せるようになりました。
大坂なおみ「黒人差別」に抗議の棄権!「対戦相手に失礼」批判が的外れな理由|ニフティニュース
プロスポーツ選手もまた、全職種の中でいえば、マイノリティと言えます。(さすがに曲解?)
世界の人が見ている中で、社会的に未だ差別偏見のある話題を論じようと思ったら、生活がかかっている前提なら、相当な勇気がないと難しいと思います。
発言がきっかけで解雇されたり村八分にされたりして、それで路頭に迷うことがあっては最悪死んでしまいますから、ある程度、生活と切り離した場面場面でこそできることなのかもしれません。
生活がかかってこない場所をホームにして生きることは可能か?
さて、ここで一旦、先程例外処理した、
- マイノリティを活かして生きることができる人達
の話をしていきます。
で、一応、前提として、ここで言うマイノリティは
- 人外とかケモノ系統の絵描き・クリエイター
とか、
に限った話ではなく、
- 自分がどうも、他の人とは違うらしいと思うこと
であればなんでも該当することとします。
- 「マイノリティの中にもマジョリティとマイノリティで分かれるものがある」
という理由があるためです。
で、どれを取るにしても同じですが、マイノリティで生きるということは、ほとんどオリジナリティを発揮するということと同義になります。
自分の作品を売ることより、自分自身を世間に知らしめることが重要になるでしょう。
全く人と違う前提を持ち、おそらく誰とも被らないという意味で細分化すると「個」がマイノリティの最小単位となります。
なので、自分を世間に対して輝かしくイメージさせるということが必要になってくるのです。
ハリウッドスターにも、ゲイであることや、特定の障害があることを告白する方がいらっしゃいますが、それを聞いても私たちは、その人を悪く思ったりしないし、意外な一面とさえ思う場合もあるでしょう。
マイノリティでも個として輝くということの極致がここに現れています。
ただし、道のりは平坦ではないでしょう。
個として認められるということは、個として多くの人に良い影響を与えるということです。
それが出来るだけの強みが自分の中になければいけません。
参考図書の紹介
で、ここからの話は私の考察程度ではお話にならないでしょうから、もっと参考になる書籍を紹介したいと思います。
ORIGINALSはアダム・グラント博士の著書で、2016年に書かれた内容ですが、2020ひいては今後の令和時代に広く通用するエッセンスが記されています。
そもそも何が
- 人と違う
ということなのか、そして
- 自分にしかできないこと
をどう見つけるかこの本が参考になるかと思います。
スライム倒して300年、知らないうちにレベルMAXになってました 1巻 (デジタル版ガンガンコミックスONLINE)
- 作者:森田季節(GAノベル/SBクリエイティブ刊),シバユウスケ,紅緒
- 発売日: 2018/01/12
- メディア: Kindle版
「スライム倒して300年」シリーズは、私が読む異世界転生モノの中で、一番好きなシリーズです!(宣伝(笑))
ちなみにアニメ化が決定しており、現在鋭意制作中とのこと。
(10/11追記:放送時期決定しました!)
アニメ『スライム倒して300年』の放送時期が決定! - 電撃オンライン
このシリーズは日常系の色があり、登場する主要キャラがほとんど同居しているので、キャラクターの登場回数にムラがほとんどないという特徴があります。
異世界転生モノというと、ほとんどが冒険物で、キャラクターが沢山出てくるシリーズが多く、主人公と別行動するものが大半なので、大抵、一巻の中でたったの一瞬出るかどうかというキャラクターが出てしまいます。
このスライム倒して300年シリーズはキャラの登場回数もさることながら、個性を何度も引き立てることによって、その個性的な印象を確固たるものにしています。
プラス、個として独立するというテーマが描かれる際には、結構教養の深い感じがあったので、何度読み返しても心打たれるものがあります。
現在コミックス版で7巻まで発行されています。
一気読みするのにもちょうどいい巻数かと思いますので、是非お試しあれ!
おわりに
最終的に参考図書にぶん投げる形で終わってしまいましたが、私の一考察程度では推し量れないほど、マイノリティは奥が深い話です。
けもフレひとつとっても、
- サーバル派
- かばん派
で揉めることがあるらしいですから、人の好みの数だけマイノリティがあると言って構わないのかもしれません。
また、LGBTに見られる性同一性障害という単語がある一方、マイノリティは病気では無いという言葉もあります。
私たちはまず、意図して正常・異常を区別しないことから始めるべきなのかもしれません。
というわけで今回はこんな感じで終わります。
また次回の投稿でお会いしましょう。
(「・ω・)「ホイ